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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2009年04月25日

「チョコラ!」いよいよ公開!

「チョコラ!」いよいよ公開!




http://ponta.osakazine.net/c133.html
以前、紹介した「空腹を忘れるために(仮題)」の劇場公開がはじまりました。
本当に小林監督のいのちを賭けた作品となった。
「チョコラ!」のウエブサイトもオープン(動画入り)しています。

( http://www.chokora.jp/ )


今、このタイミングでこの映画が上映されるということは
いったい、どういうことなのだろう……。
日本で生きる私たちとケニアの「チョコラ」といわれる子どもたちとの関わりは…、知らないだけで、かなり深いものがあるのだろうな…。そう思います。

作品紹介のウエブサイトから冒頭を一部抜粋
http://www.chokora.jp/introduction.html


人々に「チョコラ」と呼ばれ 差別される
青空ぐらしの子どもたち


鉄くずやプラスチックを集めたり、物乞いや小間使いなどで生計を立てている子どもたち。人々からはスワヒリ語で「拾う」を意味する「チョコラ」と呼ばれ、さげすまれています。夜の寒さや空腹、警察による一掃作戦など、ストリートに生きる厳しさは並大抵ではなく、実際多くの子どもたちが自然とシンナーに溺れ、あるいは数週間の内に体が持たずに姿を消します。そんな中でも、彼らは仲間と出会いグループを作り、お互い助け合いながら生きていく----それぞれに人には言えない事情を抱えながら。

ケニアのストリートを舞台に繰り広げられる
子どもたちの儚くも力強く生きる姿


東アフリカを代表する国、ケニア共和国。首都ナイロビから北東に車で約1時間行った所に、人口10万の地方都市ティカはある。映画は、この町のストリートで暮らす子どもたちの厳しい生活環境やその背景、NGOや親との関係をユーモアを交えながら丁寧に提示していく事で、思春期を迎えた子どもたちの儚くも力強く生きていく姿を描き出します。

作品の紹介




公開情報http://www.chokora.jp/schedule.html


近畿圏は以下

6月下旬~ 大阪 第七藝術劇場 Tel: 06-6302-2073

公開日時未定 京都 京都みなみ会館 Tel: 075-661-3993



●小林茂監督 略歴
こばやし・しげる 1954年新潟県生まれ。長岡高校・同志社大学法学部卒。砲丸投げ県高校記録を長く保持。「福祉」を問いつづける柳沢寿男監督の助監督を経て、ドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」(1992年/佐藤真監督)の撮影により日本映画撮影監督協会第1回JSC賞受賞。

 他のドキュメンタリー映画撮影作品に「農民とともに~佐久総合病院の50年~」(1995年/時枝俊江監督)、「地域をつむぐ~佐久総合病院小海町診療所から~」(1996年/時枝俊江監督)、また1997年に第1回監督・撮影作品「放課後」を完成。写真集に「今日もせっせと生きている」(1981年/風媒社)、「ぱんぱかぱん」(1985年/径書房)、「グラフィックドキュメント・スモン」(1989年/日本評論社・共著)、「トゥスビラ・希望一ウガンダに生まれた子供たち」(1996年/情報センター出版局)がある。
  


Posted by ponta at 00:41Comments(0)映画

2008年01月21日

「空腹を忘れるために(仮題)」完成前フィルム上映と講演

「空腹を忘れるために(仮題)」完成前フィルム上映と講演に行ってきました



ケニアのストリートチルドレンの撮影をしたドキュメントフィルムの編集中の上映会に行きました。もうこれは、映画好きの人にとっては「レア」な上映会でした。

開催内容は
http://ponta.osakazine.net/e77495.html
にも記載していますが、

NGO「モヨ・チルドレンセンター」の主宰の松下照美さんから「アフリカの子供たちの“今”を撮ってほしい」というお話で、昨年5カ月間、ケニアのストリートチルドレンの撮影をした、小林茂監督の講演でした。
主な内容は「ケニアのストリートで暮らす子どもたちの日常から何が見えるのか」についての話でした。

大阪から野洲に行って、そこからバスに乗っていきましたが、本当に時間がかかりましたが、
「本当に行ってよかった!」の一言です。

映画自体は、公開が今年の秋ごろになるとのこと、けっこう先ですね。
それまでに、まだまだ編集作業があったり、公開にあたっても様々な要素を調整してゆく必要があるそうです。



今回は、公開講座の研修ということで、小林監督が来てくださったのですが、最初に挨拶と、映画制作の経緯の説明があったあと、約50分の映画の上映会がありました。
映画の内容は、とても一言であらわせないほどの、すごい内容!!(これは、後日、配給元のホームページで詳細があがると思いますのでお楽しみに!)
もう、見て感じて……の内容です。
私自身の感想としては、カメラマン(撮影者)と被写体であるストリートチルドレンたちの距離感の近さがそのまま感じられて、一緒にその時の双方の感情を共有してしまう程でした。
まさにドキュメンタリー映画の極みです。

上映後、ケニアのストリートチルドレンの様子や社会的な背景。
「なんで、わざわざ、ケニアにまで来てカメラを回すのか」といった自分自身の思い…、
そして、「その答を探すために映画を撮るのだ…」という決意。
そして、カメラを通して「どんな対話、光を見つけられたのか……」
そんな話と思いを語ってくださいました。

まだまだ、小林監督ご自身も模索をしながら、の編集作業期間でもあって、
どのように仕上げてゆくのかも楽しみなところです。

ちなみに、この映画の製作資金のカンパも募集中のこと、
詳細は以下↓
http://ponta.osakazine.net/e2665.html


参照先

●モヨ・チルドレン・センターを支える会
http://moyo.jp/
●松下照美さんについての参照記事
http://www.rk-ms.org/ikikata/africa/07.html

●小林茂監督 略歴
こばやし・しげる 1954年新潟県生まれ。長岡高校・同志社大学法学部卒。砲丸投げ県高校記録を長く保持。「福祉」を問いつづける柳沢寿男監督の助監督を経て、ドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」(1992年/佐藤真監督)の撮影により日本映画撮影監督協会第1回JSC賞受賞。

 他のドキュメンタリー映画撮影作品に「農民とともに~佐久総合病院の50年~」(1995年/時枝俊江監督)、「地域をつむぐ~佐久総合病院小海町診療所から~」(1996年/時枝俊江監督)、また1997年に第1回監督・撮影作品「放課後」を完成。写真集に「今日もせっせと生きている」(1981年/風媒社)、「ぱんぱかぱん」(1985年/径書房)、「グラフィックドキュメント・スモン」(1989年/日本評論社・共著)、「トゥスビラ・希望一ウガンダに生まれた子供たち」(1996年/情報センター出版局)がある。


  


Posted by ponta at 19:43Comments(0)映画

2007年12月23日

『空腹を忘れるために(仮題)』…監督 小林 茂

びわこ学園のホームページからの転載です。

『空腹を忘れるために(仮題)』…監督 小林 茂

長編ドキュメンタリー映画

『空腹を忘れるために(仮題)』監督 小林 茂 氏

完成前フィルム(約45分)上映と講演

 びわこ学園を舞台に、重い障がいのある人たちの日常からつむぎ出した映画「わたしの季節」は毎日映画コンクール記録映画賞や文化庁映画大賞などを受賞しました。
彼らの「存在感」がわれわれの人生を問い、「福祉映画」の枠内からとび出し、多くの人々に強い影響を及ぼしています。
 その後、10数年前のアフリカ取材以来、交流をつづけてまいりましたNGO「モヨ・チルドレンセンター」の主宰であります松下照美さんから「アフリカの子供たちの“今”を撮ってほしい」というお話があり、半年ほどの準備を経て、昨年5ヶ月間、ケニアのストリートチルドレンの撮影をいたしました。
 その後腎不全がすすみ透析治療を受けるようになり、編集がだいぶ遅れておりましたが、このたび、その途中ではありますが、子どもたちの映画をみてもらいながら、お話をする機会をいただきました。ケニアのストリートで暮らす子どもたちの日常から何が見えるのか。皆さんとともに考えたいと思います。 …茂

講師:小林 茂 氏

日時:平成20年1月19日:土曜日
    (13:30~15:30)

場所:びわこ学園医療福祉センター野洲
     地域交流スペース会議室

参加費:500円

◎JR野洲駅からの送迎便を用意します。
ご利用の方は、申し込み時にお知らせください。
申込:びわこ学園医療福祉センター野洲(担当:西田)
※なるべく事前にお申込ください。
〒520-2321 滋賀県野洲市北桜978-2びわこ学園医療福祉センター野洲
TEL 077-587-1144  FAX 077-587-4211

  


Posted by ponta at 10:15Comments(0)映画

2006年05月18日

映画「空腹を忘れるために」(仮題)製作に向けて



映画「空腹を忘れるために」製作資金カンパのお願い

新潟県長岡市在住の映画監督・カメラマンの小林茂さんが
次回作の製作費用のカンパを募っている。

以下、小林茂さんのチラシより転載

製作/モヨ・チルドレンセンター長岡 ドキュメンタリー映画

「空腹を忘れるために」(仮題)製作に向けて

アフリカのエイズ孤児たちを取材し、
写真集「トゥスビラ・希望--ウガンダに生まれた子供たち」を出版。
全国で写真展を開催してから10年がたちます。
過酷な状況にあっても笑顔を失わない子どもたちを記憶にとどめて生きてきました。

その後、ドキュメンタリー映画の製作を続けてきましたが、4年前脳梗塞に倒れました。
その時、動けない自分の視点を初めて知りました。
今度の重症心身障がい者の世界を描いた映画「わたしの季節」は
その経験が結実したように思います。
結果、毎日映画コンクール記録映画文化映画賞、文化庁映画賞大賞、山路ふみ子映画賞福祉賞の各賞を受賞しました。

年をかさね病気をかかえた今の自分がみる世界はどう違って見えるんだろう。
再びアフリカの地に立ち、子どもたちの日常を追った映画をつくりたくなりました。
直接のきっかけは、10年前アフリカに同行した松下照美さんの
「映画をつくってほしい」の一言です。
現在、松下さんはケニアの首都ナイロビの北の町のスラムに
NGOモヨ・チルドレン・センターを立ち上げ、
子どもたちの支援活動を展開しています。

もうひとつは2005年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された
「ダーウィンの悪夢」という作品で受けたショックです。
自分自身が訪れたビクトリア湖周辺の変化を教えられました。
湖に放流された巨大外来魚が在来魚を食べつくし、
それまで在来魚を獲ってくらしていた人々は、
貧困と飢餓に苦しんでいました。

その一方で、巨大外来魚は欧米資本による水産工場の手によって
「白身魚」として欧米や日本へ輸出されているのです。
こうした世界のグローバル化の波は、私たちの日常と
遠いアフリカの人々の貧困とを結びつけています。
私たち自身がその貧困に加担している事を意味しています。
「遠く」「関係がない」と思っていたアフリカの子どもたちが、
貧困などの理由から学校に行けず、
家庭にも居場所がなく、「空腹をわすれるために」シンナーを吸い、
ストリートで生きています。

そんな子どもたちの日常、家族、友だち、仕事などにカメラを向けてみたい。
アフリカにいると、からだの奥にひそむ生命の躍動を感じます。
今の自分が感じる「生命(いのち)の輝き」を表現した、映画の完成を夢見ています。
撮影は今年の後半の数ヶ月を使い、来年、完成の予定です。
この映画の製作に皆様のご協力をお願い申し上げます。
いつも、いつも、お願いばかりで申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

2006年2月吉日
小林茂 (映画監督・カメラマン)

■■
こばやし・しげる 
1954年新潟県生まれ。長岡高校卒。同志社大学卒。
「阿賀に生きる」(佐藤真監督)の撮影により日本映画撮影監督協会第1回JSC賞を受賞。
撮影作品に「地域をつむぐ」「闇を掘る」「阿賀の記憶」。
自身による監督(撮影)作品に障がい児とともに生きる学童保育所を描いた
「こどものそら」、重度障がい者のマサヒロさんと仲間を描いた「ちょっと青空」がある。
写真集に「今日もせっせと生きている」「ぱんぱかぱん」
「グラフィックドキュメント・スモン」など。新潟県長岡市在住。

■「小林茂の仕事」Oタスケ隊 目黒秀平(伝統工芸師)■

小林茂が、アフリカへ撮影に旅立ちたいと言う。病気をかかえた彼を喜んで、
送り出すことは出来ない。まして、悪化させる可能性さえあるというのに。
しかし、「今行かなかったら、いつ行けると思う? 
今出来る事をやりたいと思っているんだ」という彼の言葉を聞いたとき、腹を決めた。
彼自身の決心を応援したい!と。
今回の撮影行は、依頼されてでかけるのではなく、彼の意思で実施されるものです。
したがって、資金的な面のほとんどを何らかの形で調達することが、どうしても必要です。

小林茂が何の心配もなく、映画完成を実現するために、多くのみなさんからカンパを寄せていただきたい、と思っています。彼の夢にかけてみませんか。
必ずや、今の彼だけが撮れる映画を、
わたしたちは感動の思いいっぱいにめにすることでしょう。
よろしくお願いします。


●郵便振替口座 0550-3-25169「小林茂の仕事」Oタスケ隊
●北越銀行殿町支店 普通635841「モヨ・チルドレン・センター長岡」
一口 5,000円
※二口以上でも、また一口はちょっとという方は5,000円未満でもけっこうです。
皆様のご支援を心よりお待ちしております。



以下の画像をクリック下されば、拡大POPUP表示されます。





  


Posted by ponta at 00:15Comments(0)映画

2006年05月16日

必見の映画「家の鍵」



シネマコラムを執筆している業界通の友人からメールが来た

今「家の鍵」は必見です。



OS名画座(大阪市北区角田町5-1)
5/6(土)→5/19(金)
①12:10②14:30③16:50④19:10~21:10終
5/20(土)→5/26(金)
①12:20②14:40③17:00④19:20~21:25終
http://www.osgroup.co.jp/cinema/theater/os.html

-------------------------
神戸アートビレッジセンター
2006年05月27日 ~ 2006年06月09日
家の鍵
(火曜休館)
一般1700/大学1400/シニア1000
-------------------------

http://www.zaziefilms.com/ienokagi/

http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD8670/story.html

以下、抜き書き

ヴェネチア映画祭で3部門受賞、
イタリア本国では、65万人を超す動員を記録して大ヒット。
その後も米・アカデミー賞外国語映画賞のイタリア代表作品に選出。  


Posted by ponta at 01:00Comments(0)映画

2006年02月26日

映画「わたしの季節」と小林茂監督-3



実は、映画「わたしの季節」の前に「夜明け前の子どもたち」という映画がある。
最初の映画は、びわこ学園創始者の糸賀一雄氏の「この子らを世の光に」という理念と人間観の元に療育実践の記録映画として作られたもの。

ちなみにこの「この子らを世の光に」という理念は、障がいを持つ子どもたちに対して「この子らに世の光を」という慈善的で施し感覚の意味ではなく、「この子ら」が世の中で一番キラキラと輝いて生き生きと生きる姿が関わる皆にとって光になるようにと願って生まれたものだそうだ。
また、この理念はどんな重い障がいを持って生まれてきても、一人の人間として本当に尊ばれる社会、時代を創ってゆきたいという切なる願いの言魂でもある。

またそれがこの「びわこ学園」の存在意義であり、そこで働く医師や看護士、児童指導員や、施設職員の働くモチベーションとなっていった歩みがあった。その際に創られた映画だけに当時、福祉職や医療に携わる人々にとって、相当な影響を及ぼしたと聞く。
その当時の子ども達の数人は、この「わたしの季節」にも登場しているが、今では全員、40-50代の白髪交じりのおじさん、おばさんとなっている。
その映画の後に作る訳だから、思い入れがあればあるほどに、単なる記録映画では終わらすことが出来ないこだわりが生まれても仕方がないと思う。

小林監督は「カメラを回しながら考えるしかない」と撮影開始を予定していた2002年5月、脳梗塞で倒れ、ようやく再起し同年10月にクランクインが出来たそうである。まさに、命がけの仕事。そのとき友人であり、この映画制作委員会を担った江口和憲さんも肝臓に重い病気を持っての同行の道行きで、2004年10月の試写会を見終えたあと、江口和憲さんは同月12日に急逝という、もうひとつの哀しく切ない物語が生まれていた。

この映画に戸次公明くんのご実家のお寺で作品展をしているときに登場している職員が江口さんその方。私は、そのことも知らずに2005年1月、野洲市での上映会に行って、昔、お世話になったその江口和憲さんと小林茂監督に会いに行ったのだが、小林茂監督さんの舞台挨拶の時に、2カ月前に亡くなられていたと聞き、茫然としてこの映画を見たものだから、懐かしいやら辛いやら、切ないやらの一時間半だった。

死にゆく人を季節は待ってくれない……

小林茂監督は、それ以上の悔しさを背負って、この映画の完成に向かったのだろうと思う。
全国で上映会が都度都度もたれている。海外でも上映されるらしい。ぜひ見て欲しい。

(終わり)

追記
本当に不思議なことだけど、今日、その江口和憲さんの追想集「不知火のうみへ」が
奥さんから送られてきた。読んだら懐かしいのと寂しいのと思い出があふれ出してきた。
稿を改めて、江口和憲さんのことに触れてみたい。  


Posted by ponta at 01:42Comments(3)映画

2006年02月25日

映画「わたしの季節」と小林茂監督-2

映画「わたしの季節」というのは、何がすごいかと言えば、「あるがまま」の凄さ。
特に今の時代、入所者のプライバシーとか、肖像権とか云々とかで、まず、撮影さえさせてもらえない。
しかも、この映像作成にあたっては、「第二びわこ学園」に関わる様々な人々が撮影されていて、さらに三人の入所者とその家族の人生や生活を追って収録されている。
ここまで胸襟を開いてもらえて、よくぞ撮影出来たものだと思う。また、「第二びわこ学園」は重症心身障がい児(者)施設で、生活施設であり半分以上病院なので、病室や医療機器が置いてあるので、通常はなかなか撮影は出来ないと思う。

きっと、映画を見ながら気付く人もいるかと思うけれど、通常の社会生活を送っている私たちが見ている景色と全く異なる風景がそこにはある。深夜にコンビニに行って、週刊誌を立ち読みしたり、会社帰りに居酒屋やカラオケ、バーに行っている私たちの生活と並行して、今も「生きる」ことそのものに120%、エネルギーをかけている生活の舞台があることがあらためて見えてくる。

病院が生涯の生活の場となっている人たちの「生きる現場」、さらに関わる家族や施設職員や看護士、医師、養護学校教師の生きる姿も含めて三年余の歳月を懸けて、制作されたドキュメンタリーというのは半端じゃないと思う。(人生の選択肢が無限にあって、将来、どんな仕事をしたいかと悩む若者にとっては、参考になる映画にもなるかもしれないけど…)

小林監督は撮影にあたってシナリオも具体的な構想も見えないままに現場に入っていったという。撮影しながら、悩む小林監督に、職員であり友人の江口和憲さんは入所者のみんなを指して「彼らが教えてくれるから…」といって励ましたという。
事実、できあがった映画に、全国から様々な感想と感動の声が寄せられてきたという。
もちろん賛否両論だし、撮影現場となった第二びわこ学園の職員の方々からも賛否があったと言う。しかし、そういいながら、文句を言った面々もきっと映画のどこかに映っているのだから、よくぞ、このタイミングでこの映画を残したことだと思う。(明日以降に続く)  


Posted by ponta at 01:45Comments(1)映画

2006年02月24日

映画「わたしの季節」と小林茂監督-1

映画「わたしの季節」を2006年1月に十三の七芸に家族で見に行った。
ちょうど、その一年前に滋賀県の野洲市の駅前でこの映画のこけら落とし上映を見てきたが、その時の上映内容の尺はもう少し長いもので、旧「第二びわこ学園」の撤去工事のシーンが入っていた。
しかし、この映画は見れば見るほど、奥が深い…。
障がいを持つ入所者のみんなのあるがままの姿がそこにドキュメンタリーとして記録されているだけ…。
これほど見る人の感性や問題意識に委ねられている映画はないと思う。。
嫁も娘も、いきなり連れてこられた十三の映画館で、この楽しくない映画を見て、どのように捉えれば良いのか分からずに困っていた。(明日以降に続く)

http://www.watashinokisetsu.com/  


Posted by ponta at 11:39Comments(0)映画